back

The Dutch Progressive Rock Page(オランダ)に掲載された
Bob Mulvey氏によるレビュー


壷井彰久は私のCDプレイヤーに、2003年の内に2 度、衝撃を与えた。
初回は素晴らしかったERAのアルバム、後に同等の感銘をもたらしたKBBの『FOUR CORNERS SKY』であった。 対照的な二枚のアルバムはどちらも素晴らしくメロディックな壷井のヴァイオリンを目玉とするものであった。 だから唐突にこの三枚目のアルバムが現れた時、早く音に触れようと苛立った。 Mark Hughesにより評されたCD『足立兄弟』で、信頼のおけるギター演奏と貢献によって、楽しませて貰った足立宗亮の名前にも気づいていた私は、大変興奮していた。

したがって私にとっての新顔のミュージシャンは一噌幸弘だけであった。
リコーダーと言うのは私のようなクラシック音楽における門外漢には、小さな子供たちに配給され、苦痛と不快を聴く者に与えるに過ぎない奇妙な楽器と見えていた。 一噌幸弘はこの楽器に関するその認識を見事に変えた。 一噌の口をはさむ余地の無い技術と能力には、唖然とさせられ、この楽器の周辺を寸分の誤りも無く飛び回る彼の指は前言を撤回させるに充分なものであった。 故に、AUSIAにおける一噌の存在は、二番目の役割でなく、最重要な楽器の一つであった。

本作かさかさの持ち味は、リズミカルで力強い足立のギターにバランスを得ている即興的なソロの独特な調和である。 このことが、タイトルトラックであるかさかさで認められるような、ヴァイオリンと笛の両方をステージ中央に据え、人の心を奪う、応答形式のソロのせめぎ合いを生む。 比較すべき物を挙げる事は困難で、あえて近似の領域の物をあげるならば、ジョン・マクラフリンの、パコ・デ・ルシアとアル・ディ・メオラとの共作、『PASSION,GRACE&FIRE』の三本のギターのうち二本を、ヴァイオリンと笛に入れ代えた物と捉えるのがふさわしいと思われる。

本作は一ヶ所か二ヶ所で録音された、三人の音楽家によるセッションの成果と見える。 それは、喜びの奇妙な叫びや、楽器が本来的に持っている雑音などを故意に編集していない事で知れる。 終わりに暖かく、演奏家同士の友愛が感じられる。
しかし(しかしが多いが)この全ての素晴らしい演奏に、二分野のみ、この評者を肯かせえない物が有る。 一噌幸弘の演奏に難癖をつける訳ではないが、楽器の持つ本来的な高音域により、聴き疲れを起こす事に気づかされた。 第二には、パッセイジの強烈に過ぎる事、鮮明であるが故、主張が強すぎる事であろうか。 タイトルトラック『かさかさ』や、『インディアンレイン』など、息をつく間さえない。 故に私は、『ロストオンザウェイホーム』の様な曲をより好む。

そして、2003年に聴き得た最も美しく、悲しく、且つ、評者の喜び足りえた曲として、その『ロストオンザウェイホーム』を特筆しておかなければなるまい。 足立宗亮が静かに爪弾くギターを背景に、リコーダーとヴァイオリンのそれぞれが、悲しみに満ちた、忘れがたいメロディを奏でる。 実際に、帰り道に迷ってしまった(ロストオンザウェイホームの意)かのように、穏やかに、あなたの思うところ、どこにでも漂っていけるような感覚に陥れていく。 本当に古い記憶を喚起させるような優しいメロディを即興的なきらびやかさの中に持った作品-本当に沁みる一曲である。
そして、かさかさを要約すると、幕間に宗亮の持ち込んだ二曲、一つはウィリアムシェイクスピアの12夜からの抜粋、『子供の頃』、今ひとつはジェスロタルの曲に、説得力ある解釈を与えた『マザーグース』であり、そのどちらもが、他の曲からも匂い立つ、民族色の濃い、エリザベス調の影響を反映した作品であり、本作の休憩点となり、作品自体を強調する歌曲を挿入した、器楽曲を主に聴かすアルバムである。

結論は所謂プログレとは一線を画すものとして、制限され、メロディックではあるが、激しく即興を導入された素材に傾倒している者に購入されるべき作品であろう。 ともあれ、3本の生楽器が成し得た一つの到達点であろう。

結論:7ポイント(10ポイントのうち)









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送